「アートの島」の光と影 〜産廃問題は終わらない〜
瀬戸内海の豊島は、以前「ゴミの島」と言われていた。産業廃棄物が不法投棄され、健康被害と環境汚染を起こした「豊島事件」。その事件の現場で、豊島の住民たちの先頭に立った石井亨さんから、話を聞いた。
豊島の住民が45年間に及ぶ産廃業者、行政担当と戦った歴史、権力者による心ない言葉や嫌がらせにめげることなく、住民たちが学び、行動していく話に、感動しました。県がゴミの処理をするように仕向けるためには、県民、国民の理解が欲しい。そのために、世論を味方につけること。そこで、世論を作っていくために、香川県内を住民が10チームに分かれ、10カ所以上、県民に話をしにいった行動、銀座に豊島の廃棄物を展示するという行動には、震えました。住民一人ひとりは勉強を重ね、自分の言葉で豊島の問題を話せるまでになっていった。
最終的に香川県に責任を認めさせ、91万トンにも及ぶ廃棄物の撤去を勝ち取った。2003年から撤去が始まり、2019年に770億円かけて撤去は完了したが、地下水の無害化が終わっておらず、まだ完全な処理には至っていない。
そもそもの始まりは1978年。住民の反対を押し切って、香川県は業者に許可をだした。業者は『ミミズの養殖』のため、食品汚泥など無害物を持ち込むという約束であったが、実際には、車の破砕くずや廃油など、大量に不法投棄し、野焼きをした。島には、煙や異臭が漂い、咳が止まらなくなるなど住民の健康を害していった。しかし、香川県は黙認した。
当時の知事は「豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」と言ったそうだ。
1990年、香川県警ではなく、兵庫県警の強制捜査で業者は摘発された。しかし、当時の法律では、罰金50万円だけだったと。
住民は県、事業者、国などにゴミの撤去を求め、公害調停を申請。
「自分たちの代で美しかったこの豊島をゴミの山のまま子どもたちの世代に押し付けるわけにはいかない」「子どもたちに豊かな環境を残してやりたい。」
豊島事件は、それまであまり重要視されてこなかった廃棄物の問題を、一気に我が国最優先の環境問題にクローズアップさせ、廃棄物政策の見直しを行う引き金となった事件でした。
この運動で素敵なことは、産廃業者を訴えただけでなく、原状回復と地下水を安全なものにするまでを目標にして、今も監視を続けていること。
住民が主体的に学び、活動していき、成長していく、市民活動や民主主義のモデルになるケースで、日本の歴史に残していくべき事件だった。